冬の国の王女No.2氷の馬はぶるっと身を震わせていななくと、もう一度うやうやしく頭を下げました。「王女さま。 私たちは冬の王さまから、この国をまもる役目をおおせつかっています。 この国に人間どもが入って、王女さまにきがいを加えたりすることがないように見はっているのです。 ところが私は先ほど、いのち知らずにもこの国をまもる山のひとつをこえた人間がいるのを知りました。 そこで私はそのいまいましい人間どもを追いはらうようになかまたちに命じました。 今ごろやつらは、仲間がおこした吹雪にあい、身動きもできずに凍えているでしょう。 いや、それどころかもう雪のなかにうずもれて、息たえてしまったかも知れません。 わたしはそれをあなたさまに知らせるためにここに残ったのです。」 人間ときいて、王女の胸は高鳴りました。 王女にとって人間ほど興味ぶかいものはなかったからです。 「人間ですって! 人間がここまできたというのですか? でも、あなたは今まで人間を見たことがあるの?」 王女はしんけんな面持ちで尋ねました。 「はい、ございます。」 氷の馬は静かに答えました。 「まあ!」 王女は息をのみました。 「でも、人間ってどんな姿をしているのかしら?」 王女がふしぎそうに小首をかしげたので、氷の馬はとてもおどろきました。 王女が人間にきょうみがあるとは夢にも思っていなかったからです。 「王女様、人間なんぞは取るにたりないものでございます。 どうかそのようなものはお忘れ下さいますように。」 「いいえ!」 もどかしくなって王女は叫びました。 「私は人間について知りたいのです。 ちゃんと話してください。」 王女がさすような目で見つめると氷の馬はうろたえました。 「そっ、それは…。 王女さまによくにた姿かたちをしていますが、王女さまとは比べものにならないほどみにくいものたちです。」 「その人間が冬の国のさかいまで来たと言うのですね。」 「そのとおりです。」 答えながら氷の馬は不安になりました。 というのも人間がちかくまできたと聞いたとたんに、王女のすきとおるような白いほおに赤みがさし、王女の目には押さえきれないほどの熱情がうかんできたからです。 氷の馬はなんだか恐ろしくなって、王女に話したことはまちがっていたのではないだろうかと思いました。 王女はしばらく考えこんでいましたが、つと顔を上げると強い口調で言いました。 「では私をその人間のところにつれて行ってください。」 「なっ、なんということをおっしゃるのです! そのようなことをしてこの国のことが人間に知られたらどうなさるおつもりですか? もし、あのおろかな人間どもがこの国のことを知ったとしたら…。 人間どもはいっきにこの国におしよせ、この国をめちゃくちゃに踏みにじってしまうでしょう。 そうなったらあなたさまも、ご無事ではいられないのですよ。」 「そんなことがあるはずないわ。」 王女はきっぱりと言いました。 氷の馬は驚いて王女の顔を見つめました。 「氷の馬よ、おまえは心配をしすぎています。 考えてもごらんなさい。 この国は寒すぎるので人間がここに住むことはできません。 それに、国ざかいの山ひとつでさえ、おまえ達にはばまれて、人間は越えられないではありませんか。 げんに今も人間たちは雪の中に埋まっているのですから。」 王女はそう言うと、うすい灰色の目をじっと氷の馬にそそぎました。 氷の馬はしかたなくうなずきました。 「わかりました。 そこまでおっしゃるのなら、お連れします。」 王女は軽くうなずくとかろやかに馬のせなかに飛び乗りました。 そして王女はほっそりした白い腕を、馬の首のまえでしなやかに結びあわせました。 「さあ、行ってちょうだい!」 その声で氷の馬は一気にかけ出しました。 氷の馬はものすごい速さで駆けてゆきます。 そのために王女の白い雪のような髪は風になびいて散りみだれ、耳もとではビュービューと空気がうなりました。 「こんなことは初めてだわ。」 王女は変わらない世界にいてはじめて変化を味わったのです。 王女の目にうつる景色は今まで目にしたことのないものばかりでした。 それらの風景は山をひとつ越えるたびに、思い出が消えたり浮かんだりするかのように去って行きます。 やがていつもの見なれた風景のかわりに、王女の知らない景色が広がりました。 「あそこです。」 氷の馬はようやく立ちどまりました。 見るとあたりは灰色の幹に、粉雪をうでいっぱいに抱えた森が広がっていました。 その中の一点に、雪でもりあがった場所があります。 「きっとあそこに違いないわ。」 王女はうすいレースのスカートをふわりとふくらませながら、いそいで馬の背からすべりおりました。 近よると雪の中から小さなかわぐつの先がほんのわずか突き出ています。 「たいへんだわ、急がないと。」 王女はいそいで積もった雪をかきわけました。 するとそう深くない雪の中から、ひげをたっぷりたくわえた黒髪の男とまだおさない男の子が、冷え切った体でたおれているのが見えました。 王女はふたりの顔のうえに身をかがめました。 「まだ息がある!」 王女は二人の息を確かめると、はずんだ声で言いました。 王女は氷の馬を振りかえりました。 「ねえ、氷の馬。 この二人を町まで運んであげましょう。 二人を助けてあげるのです。 おまえならそれができるはずだわ。」 「王女さま!」 氷の馬はあたりにだれもいないことを確かめるためにあちこちを見まわしました。 幸いあたりにはだれも見あたりません 氷の馬はほっとして言葉を続けました。 「王女さま! この者たちは冬の国に近づこうとしてあなたさまの身を危うくしたのですよ。 だからこそなかまたちはあなたさまを守ろうとしてこの者たちを雪にうずめたのです。 それなのになぜ、こんな者どもをお助けになるのですか? なかまたちはこのことをけっして喜ばないでしょう。 それにこの山に入って助かった者がいなかったからこそ、今まで冬の国のひみつは守られてきたのです。 それなのにこの山に入ってなお、生きていられるとしたら、人間どもはこの地に群れをなしてやってくるに違いありません。」 「いいえ、いいえ。 そんなことにはなりません。 あなたも人間が冬の国にはけしてこられないのを知っているはずです。 どうかこの人たちをたすけてください。」 王女があまりにも熱心にたのむので、氷の馬はしかたなくうなずきました。 こうして王女と氷の馬は北の国まで二人を運ぶことになりました。 氷の馬は力強い足で一けりするとあっというまに父親をはこび、つぎに子どもをつれて行きました。 そして王女は細い腕で馬の背から二人が落ちないようにささえました。 それから王女と氷の馬は二人を町外れのふるい農家の戸口に横たえました。 王女はそっとドアをたたくと、こっそり壁のわきに隠れました。 「はい、どなた?」 家の中から女がかおを出しました。 でもなんの返事もありません。 女はふしぎそうに手ぬぐいで手をふきながら、あたりをキョロキョロ見まわしました。 「変だねえ。 たしかに音がしたと思ったんだけど気のせいだったのかねえ? だれもいやしないよ。」 そういって女がドアを閉めようとしたそのときです。 とつぜん女の目に倒れているひげの男と子どもの姿が飛びこんできました。 「まあ、どうしたんです? こんなところで。」 女はいぶかしげに身をかがめ、二人の体をゆすりました。 けれども二人はぐったりしたまま動きません。 「たっ、たいへんだ。 ちょっとあんた! すぐに来ておくれよ。 人がたおれているんだよ。 早く! 早く! ねえ、あんたったら!」 女が大声で亭主を呼ぶと、赤らがおの男が家のそとに飛び出してきました。 亭主は倒れている二人を見ると、ひざをついて、そのほおを平手で打ちました。 「おい、どうしたんだ! しっかりしろ!」 でもなんの反応もありません。 「いやっ、これはいかん。 体が冷えきっとるぞ。 今すぐ体を温めなければ…。 毛布だ! 毛布をもって来い。 毛布でくるんで家の中に運ぶんだ!」 女房はあわてて毛布を持ってきました。 子供たちもびっくりして集まっています。 「さあ、みんなで体を持ち上げろ! 静かに。 そっとだ、そっと! そう、それでいい。」 亭主はひげの男を毛布でくるむと子どもに手伝わせて家の中に運びました。 その後をおさない子どもをだいた女房が続きます。 「さあ、部屋の中を暖めるんだ。」 農家はたいへんな騒ぎです。 「これならだいじょうぶね。」 王女はひげの親子が中に運びこまれるのを見届けると、そっと氷の馬にめくばせしました。 「さあ、いそいで冬の国にもどらなければ。 そうでないとみんなにこのことがばれてしまうわ。」 そういって王女が振りかえったとき、王女ははっとして息をのみました。 そこには、秋の収穫を待つばかりの畑がゆたかに広がっていたからです。 それは王女がはじめてみる秋の世界でした。 畑は広々として黄金色に波うっていました。 もう収穫はまじかなのでしょう。 穂は重そうに頭をたれ、熟し始めるのを今か今かと待っているようでした。 「これが秋なの…?」 王女ははじめて見る秋の美しさに目をみはりました。 「そうだ、これがお父さまが話していらした秋の畑に違いないわ。」 王女は畑に照りかえす太陽の光や、おもいおもいに色づく丘のうえの木立を見つめました。 「ああ、なんてゆたかな色あいなのかしら。 もっと近づいて景色を見てみたいわ。」 王女は帰らなければならないとわかっていましたが、どうしてもその場を離れることができませんでした。 「もうすこし…。 もうほんの少しだけ…。」 王女の心ははじめて見る秋に燃えるような喜びを感じていたのです。 その喜びは熱く強く燃えて、気のせいか体の芯まで熱くなってきたようです。 それをみていた氷の馬は気が気ではありません。 「王女さま。 ここは長くいてはいけないところでございますよ。 あなた様の体が暑さにやられてしまいます。 さあ、はやく冬の国におもどり下さいませ。」 氷の馬は王女のまえにたっていさめました。 けれども王女の耳に氷の馬のことばは届きません。 王女はすっかりゆめみごこちになって走り出しました。 王女はおどり上がって喜び、かんせいを上げました。 その声に驚いて小鳥たちは飛びたちすべるように空にむかって広がります。 王女はそれを見るとはじけるように笑い出しました。 「これが小鳥でこれが風。 どれもこれもなんてすてきなんでしょう。 ああ、私もずっとここにいたいものだわ。」 王女は秋の風を胸いっぱいに吸いました。 その温かい風は王女のからだ中の血を燃えたぎらせるようです。 王女のうすいブラウスはあせばんだ体にぴったりとはりつき王女の胸のこどうははげしく鳴りつづけました。 やがて王女はブドウ畑につきました。 そして濃いむらさきのふさから、ブドウをひとつもぎとって口にふくむと、それはあまくてつよい太陽のかおりがしました。 それとどうじにくらくらするような熱気も感じます。 王女は夢をみているのだと思いました。 そしてその夢は今までに見たどんな夢よりも美しくて心がおどりました。 「王女さま、お帰りにならなければなりません。 私たちはあまりにも長くここにいすぎてしまいました。 これいじょうは王女さまのお体にさわります。」 後ろから氷の馬があせびっしょりになっていいました。 「ほんとうね。 なんだか私も疲れてきたわ…。」 そういうと王女は力が抜けて、氷の馬の背に倒れこんでしまいました。 どれくらい眠ったのでしょうか。 しばらくして気がつくと、王女はいつもの氷のベッドで眠っていました。 体はまだ疲れていますが、もうほてってはいません。 冬の国の冷気は王女の体を冷やし、すみずみにまで力を送りこんでいたのです。 |